学校で勉強する意味ってなんだろう

なんで、小中高と12年間も半強制的に勉強させられているんだろう。

とくに高校で習ったこととか、今後絶対使わない知識の方が多いし。私数3も物理も、今後なにかの役に立つとは思えないよ。

 

大学は教育学部に入ったし、その辺のこともたんまり教えてくれるんだろうと思ってたけど、ほっとんどしょーもない教授の雑談とか、「行きたくなる学校ってどんなだろう?」「うーん、給食がおいしい学校!」「いいねそれ!」みたいな、高校の授業以上に何に役立つんだこれって授業ばっか。もちろんそうじゃないのもあるけどさ。

 

だから、自分なりに、なんで学校で勉強するんだろっていうのを考えてみた。

正解は1つじゃないんだろうし、今後また新しい経験をしていく中で変わっていくんだろうけど、とりあえず最近考えたのはこれ。

 

学ぶことの楽しさを知るため

 

人生は「どうしたらもっとよくなるのか?」って考えることの連続。

考えるっていうのは、人から聞いたり、本やネットで調べて、

それを自分でもやってみて、成功したり、失敗したり、試行錯誤しながら、少しずついい方向に向かうこと。

仕事も、恋愛も、家庭も、趣味も政治も経済も、、、考えて考えて、考えてそれを行動に移してる。自然と、ずっと前から決まっていたようにこの世界ができたわけじゃない。この地球に生まれた全員が考えながら生きた結果が今の世界だと思う。

考えることができるから、人間は人間でいられるのかなと思う。

 

学校では、考えることを教えているんだろうなあ。小学校に入学した頃はひらがなも十分に書けなかったのに、高校を卒業する頃には、人によって差はあれど、小1の頃からは考えられないくらい成長してるじゃん。

ひらがなも足し算も、すべての勉強は、自然とできるようになるなんてことはなくって、自分で勉強したからできるようになったんだよね。日本人は文字を読めたり書けたりするのが当たり前だから忘れがちだけど。一つ一つ学んでいったからできるようになった。

そうやって、一つ一つ学んでいけば、はじめからは想像もつかなかったことができるようになるんだよって言うのを、長い長い義務教育を通して伝えていけたらなって思う。

 

そして、学ぶことを楽しいと感じてほしい。学ぶことは、考えることで、考えることは、生きることだと思うから。

 

義務教育を卒業しても、学ぶことをやめないでほしい。自ら課題に立ち向かって、自分の生活や、日本や、世界を良くする努力を楽しんでほしい。

 

だから、学校での勉強は楽しくなきゃいけないと思うんだよね。楽しくないと、やる気にならないもんね。受験勉強としての勉強だけでなく、社会人になってからも自ら人生を切り開き、生活を楽しめるように、学ぶことの楽しさを伝えられる授業を目指したいな。

 

 

即死しない程度にテキトーな介護サービスってないのか

特別養護老人ホームでの実習3日目。

(*この文章は介護の専門知識がない学生が書いています。)

 

大学のガイダンスでは

”おじいちゃん・おばあちゃんと仲良くお手玉をしたり歌を歌ったりして楽しく過ごしました(*^▽^*) 最終日にお別れするときはとっても寂しかった(;。;)”

 

って感じのビデオを見せられたのに!私は!

 

 

寝たきり老人の排泄介助・見学

寝たきり老人の入浴を見学→身体を拭いたり

寝たきり老人の口にゼリーを押し込む

 

これを毎日4時間ぐらいずつやってる!!聞いてたのと違うぞ!

 

で、これやってて思ったのが、

至れり尽くせりすぎない、、、?

 

だって、

1,毎日5回食べさせてもらう

(朝ご飯・10時のコーヒー・お昼ご飯・おやつ・夜ご飯)

スプーンでゼリー状の食べ物や飲み物をすくって、下唇を触ると7ミリくらいくちが開くから、そこにスプーンを押し込む。これの繰り返し。

目も閉じたままで、もたもたして30分ぐらいかかると食べてる途中でも疲れて寝ちゃう。そしたら大声で呼びかけて肩トントンして起こして、食事再開。

 

しかも、その人その人に合わせて硬さとかメニューが違う。

普通のおやつがバームクーヘンでも、何かの栄養が足りない人は栄養ドリンクだったり、栄養は足りてるけど固形物が食べられない人は水ようかんだったり。水ようかんの砕き具合も違う。あれ職員にとっては絶対めんどいでしょ。

 

そして一番の疑問

なんで!ずっと寝てるのに!そんなに食べられるの!?

大学生の私ですらお母さんがいないときは朝と夜しか食べないのに。

あ、ちゃんと食べるから長生きなのか。

 

 

2,お風呂は夏でも肩まで湯船に入る、お風呂上がりは保湿クリーム

水の節約と風呂洗いの手間を省くために基本は湯船に入らない家庭で育ったから、これを見たときはうらやましくなった。

いや、うちの家族だって真冬は湯船入る人もいるよ。でも20センチぐらいしか溜めないからすぐ冷めちゃって、自分のために温め直すのめんどくて結局シャワーだけで済ます人が多い。

 

 

なんかもう項目ごとに分けるのめんどくなったwだからざっと箇条書きすると

・ひとりひとりのケアプランをじーーーっくり会議

・一人一部屋

・誰も見てなくてもテレビつけとく

・エアコンがんがんの部屋で布団かけて寝る。

・あざができないようにベットはクッションだらけ。

 

とかとか。

 

これ見てて思うのが、

 

 

 

 

え、そこまでして長生きしたい、、、?

 

もう、寝ていることの方が多い。認知症で家族の顔や名前もいまいちわからない。

一日でも放置していたら死んでしまう。

そんな状態になってまで、人って生きていた方が良いのだろうか。

 

もちろん、本人の同意なしに安楽死はいけない。たとえ本人が希望しても、人が人を殺すのは良くない。

 

でも!でも、そんなにお金をかけて世話してもらって寿命が延びたところで、楽しい思い出はどれくらい増えるのだろうか。

 

私なら元気に長生きしたい。

介護が必要になったら、頃合いを見て死にたい。

 

 

 

 

即死しない程度にテキトーな介護サービスってないのか

 

 

人にあまりにも迷惑をかけるのは嫌だけど、餓死はしたくない。

そんな人向けに、少しのストレスはあるしそのうち死んじゃうかもしれないけど、ほどほどの介護サービスがほしい。専門知識がないから具体的なことは言えないけど。

 

だって本来生きていたらストレスはあって当然じゃない。

未来を担う若者が人間関係や未来のことやお金や仕事や恋愛など様々なストレスをかかえて生きていて、中にはそれらに悩んで自殺してしまう人もいるのに、寝たきり老人が何のストレスもなさそうに数年間生きているなんて、違和感を感じる。

 

これから日本はどんどん高齢者の割合が増える中で全員にこんな対応をしていたらキリがない。介護施設がいくらあっても足りない。

 

ガン治療にはもう治る見込みがないってなったら、延命はせずに余生をなるべく穏やかに過ごすって選択肢があるのに、なぜ介護は100パーセント本気で介護し続けるのか。60パーセントぐらいじゃだめなのか。

 

とても薄情なことを言っていると思う。確かに家族が亡くなるのはとても悲しい。

でも、だからって人間らしさがなくなってもなお本気の介護で生かし続けるのはその人のためになるのだろうか。なにが人間らしさと考えるかは人それぞれだけど。

 

介護や医療措置を含め、自分の死に方も選べる時代になればいいのに。

元気なうちに自分はどんな終末期を過ごしたいか考えて、それを家族に伝えておいて、家族が医師や介護施設に本人の意思を伝えられれば、少しは変わってくるんじゃないかな。